『プロレスキャノンボール2014』を観に、映画館に行ったでしょう。
映画って本編が始まる前に、ほかの映画の予告等が流れるよね。
それで、やばいのみちゃったんだよ。
『野火』ってやつ。知ってる?
1951年に発表された小説で、1959年と2015年に映画化されてるの。私が観たのは2015年版の予告ね。
Wikipediaに載ってたあらすじがこちら。
太平洋戦争の末期の日本の劣勢が固まりつつある中でのフィリピン戦線が舞台である。 主人公田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される。現地のフィリピン人は既に日本軍を抗戦相手と見なす。この状況下、米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、全ての他者から排せられた田村は熱帯の山野へと飢えの迷走を始める。 律しがたい生への執着と絶対的な孤独の中で、田村にはかつて棄てた神への関心が再び芽生える。しかし彼の目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食の欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切る。 ついに「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた田村は「狂人」と化していく。
カニバリズムか…。おいおい、本当に食べないでくれよ…とびくびくしていたら、スクリーンにでっかくキャストの名前が。
ぎゃーーーー!!!!
食うよ…!これは絶対食う!
これは『凶悪』のトラウマ…。
そういえば、まだ凶悪の感想を言ってなかったよね。
この映画でリリー・フランキーは「先生」って呼ばれてる木村って男を演じててね。
こいつが…もう…!!!
ついでだから、以下、映画序盤のご説明。
ある雑誌の編集部に届いた手紙の持ち主に会いに、記者である藤井(山田孝之)は刑務所に向かう。
手紙の内容は、まだ明るみになっていない自分の犯した殺人を告白したもので、首謀者であり自分を裏切った「先生」がシャバでのうのうと暮らしてるのが許せないという動機のもと。
始めは半信半疑だった藤井も、須藤の手紙と証言を頼りに取材を続けるうちに、それらの殺人が現実に行われていたと確信していく。
そして、「先生」の事務所へ。
現在は使われることなく、荒れ果てているその建物の砂やほこりで汚れたガラスを手で拭く。
ガラスの中では、「先生」が男の首を絞めていた。
貸した金を返さないという怒りでカッとなり男を殺してしまった「先生」が電話をかけた相手が、背中一面に彫り物をした須藤。
(ここでやっと私は過去の場面になったことを理解したのでした…。)
須藤は、にこやかに、死体の処理を買って出る。
「人って簡単に死んじゃうのよー」とか言って笑いながら。
先生の知りあいの男の会社の焼却炉で死体を焼こうとしたのだけど、死後硬直もはじまり、狭い炉内に全身が入らない。
ナタを持ってこさせ、体をばらしていく須藤。
恐れも興奮もなく、平然と、ただ事務的に。
片腕を焼却炉に入れようとすると、先生が「ちょっと待って!」
「売れるから」という理由で、腕につけられていた喜平チェーンのブレスレットを抜き取ってしまう。
須藤が火をつけようとすると、自分がやると言い出す。
いや、いいですよと気を使う須藤に、「燃やしてみたいんだ。」と一言。そして、自分が殺した男が燃えている焼却炉を覗き込んで、「肉がこげるいい匂いがする。」とご満悦。
いやー!リリーフランキーが狂ってるよー!!
そりゃ『野火』で人肉だって食うでしょ!
(実際に『野火』を観てないからリリー・フランキーが食うのかはわからない…。)
その後、木村の行動はエスカレート。
土地を持っている老人を油田呼ばわりして、殺し、土地を奪い、転がし、金を儲けていく。
生き埋めにされている老人の、恐怖に震え助けを求める視線に、「そんな目でみられちゃ…興奮するな。」と言いながら体をくねらす。
保険金目当てで、家族から酒を飲ませて殺してくれと依頼された老人に、スタンガンを当てようと近づくその足取り。木村の全身から発揮してる快感が目にみえてしまいそうなくらい。
須藤はどっちかというと、自分を裏切った人間が許せなくて殺したり、あとは須藤に頼まれて事務的に殺す感じだけど、木村はもう、弱いものをいたぶるのが体の芯から大好き!そしてお金大好き!お金のためならなんだってするよ!っていうのがあからさまで本当に気持ち悪くなる。
もうね、私、夜道でリリー・フランキーに会ったら全力で逃げるよ。『凶悪』を観て以来、テレビにリリー・フランキーが映るとびくっとするもん。
でもさ、『野火』が気になって仕方ないわけよ。多分いつかレンタルすると思うよ。こわいよー。